NIPPON FALCONS LEAGUE

Our blog's intention is to request the US government to grant us a chance to defend our mother country Japan at the American court of law regarding the resolution "Comfort Women" passed July 30, 07.

「開き直れ、日本」

6・29・07

6・26日の米国議会下院外交委員会の旧日本軍従軍慰安婦決議に関して、わがアメリカ人妻に意見を聞いてみた。近所のスターバックスで、エスプレッソ・アイス・コーヒーを飲みながらである。まず、今までの経緯を解説した。安倍首相の発言がコロコロと変わり、「二枚舌」とポスト紙に書かれたことや、4月のブッシュとの共同記者会見で「謝罪を認めた」と取られた発言のことである。真摯に耳を貸していたクリステイン大尉殿のアドバイスは次の通りであった。

“Prime Minister Abe is a careless man. Doesn’t he have his legal counselor? I mean he needed an American lawyer, if he had one, even a lousy one he wouldn’t have stepped into this mess. Welcome to American politics. Mr. Abe is now trapped in American politics.”

 そこで、下院本会議で議決されたときの安倍さんの選択肢を並べて見た。

1)旧日本軍の罪を認めて謝罪する。
2)河野談話に事実誤認があった。日本政府は謝罪しないと声明を出す。
3)過去、米軍にも慰安所があった。二重基準だと反撃する。
4)広島・長崎原爆投下を持ち出し「ブッシュも謝るのか?」と反撃する。
5)反米思想が生まれる。日米同盟・日米親善関係に亀裂が入ると注意する。
6)米国議会下院外交委を相手に訴訟を起こす。
7)事実を検証するため日米共同研究を提案をする。

 わが妻の答えは簡単であった。

“As Prime Minister you could, first, declare that Japan will not abide by the resolution. Second, Japan can ignore the resolution since it is nonbinding. Also, you can contend that guilty by suspicion is not acceptable by anyone at any rate.”

(Heijiro) “The American media won’t leave Japan alone. They will relentlessly ask Abe the same questions and demand his answer.”

(Christine) “Just say that you have already answered.”

(Heijiro) “After all what can they (US Congress) possibly do about it? There is no enforcement clause or a deadline attached to it.”

               ***

つまり、日本人の耳には米国議会が日本を批判すると強く響くのだが、それほどの意味がこもっていないのである。1)最も重要なことは、アメリカ人には、「曖昧な返事をしてはいけない」ことである。2)執拗な糾弾に対する特効薬は、「反論も、抗議も、反撃もしない拒否なのだ」。すなわち、取りつく島もない「ノー」なのだ。そういえば、夫婦喧嘩し彼女は不利とみるとよく対話を拒否した。

ここで、レーガン時代の、イラン・コントラ事件の米国議会の公聴会を想い出す。この事件はオリバー・ノース大佐や、CIA長官のジョン・ポインデクスターが、ミサイルをイランに売って、ニカラガのコントラ軍に戦費を提供した事件だ。「議会の糾弾に対するあなたの答えは?」とダニエル・イノウエ議長が聞くと、隣に座っている弁護士が大佐に耳打ちをした。すると、I would like to take the Fifth と、ノース大佐は答えたのだ。つまり「米国憲法修正条項第五項目(罪を認める証言を拒否できる黙秘権)を行使したい」と言ったのだ。米国議会は、ノースが黙秘権カードを使うことは周知だったが、「ああ、やっぱり」というざわめきが起きた。しかし、ノース大佐は平然としていた。辣腕の弁護士が横にいたからだ。

この「平然と開き直った態度」を安倍晋三首相は取れるかな? ここで、安倍さんの性格がテストされる。つまり「強い日本の国家指導者なのか?」とである。

日本の国内が、苛々して騒ぐのを眺め、「しめしめ」とほくそ笑んでいたマイク・ホンダや、除玉子たちが、今度は苛々する番なのだ。さあ、みなさんはどうお考えか? 

                 ***

「解説1」アメリカ国民は強い人間を尊敬する。曖昧(ambiguity) を嫌う。二枚舌(duplicity)はいけない。Do you like America? と聞かれたら、yes,I do. you are my brother と答えると、握手を求めてくる国民なのだ。中国人でも知性のある者は、そこに気が付いている。

ところが、安倍さんはコロコロと言うことが変わる。この時点に至っては、「下院議決拒否」以外の手段はどれも効をなさないのだ。しかし、日本国民が安心して良いのは、この従軍慰安婦問題はいずれ風化する問題であることだ。風と共に去りぬだ。blow overという。アメリカ国民はベトナム戦争すら、もはや「過去の過ち」とし話題にもしない国民なのだ。

「解説2」ところで、「拒否・黙秘」に転じた日本を、マイク・ホンダや、背後の中国人反日団体は引き続き日本を糾弾する。が、応じる必用はない。さらに、ブリーフだけを読んで賛成票を入れた他の下院議員たちは別に強く支持しているわけではない。そのうち、日米関係の重要さに気付き、次第に熱は冷めていく。糾弾し続けるマイク・ホンダらが負けるのだ。「終わったことだ」と沈黙したままの日本は勝つ。肝心なことは一切、対話に応じないことだ。

現在、世論調査で、74%のアメリカ国民は、日本を「信頼できる国」と回答している。一方、同率のアメリカ人が、中国を「信頼できない」と答えているのだ。CNNなどは、従軍慰安婦の「い」の字も出さない。ニューズ価値を認めないからだ。疑うなかれ。 伊勢平次郎 ルイジアナ



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「南米の社会主義を考えると」

6・13・07 (敬語略)

産経イザのブログに登場する62790287さん、溌剌青年SIMESABA君の、現場を歩いた男たちの記録は生きている。臨場感があり感傷も抑えてある立派な作文である。62790287さんはご年配でしょうか、表現に大人を感じる。国際政治を語るにしても現場にいた人のルポルタージュほど価値のあるものはないと思う。こういった見聞録を聞かなければ、殺風景な統計でも眺めながら憶測で議論することになってしまう。

ところで、今日、社会主義の衰退・復活を論じることは価値がある。一方の資本主義・自由経済の欠点をアメリカ浪人40年の平次郎は理解している。簡単すぎるが、1)腐敗(司法・モラルの緩み)、2)貧富格差(税制のほころび)、3)資源・環境荒らし(政・官・業のモラル低下)であると。

私は南米を語るほどの実体験も学習も足りないが、メキシコはメキシコシテイ、カンクン・アカプルコへ海水浴で行く。去年の夏(南半球は冬)はブラジル、アルゼンチンを「ぶらり散歩旅」をした。気候の良いイグアスの滝、パタゴニアの氷河湖を高速船で横切り、ワインで有名となったメンドーザのアンデス山脈の最高峰アコンカグア(6962メートル)の雪中を歩いた。パンパスでは、79歳のガウチョを雇って二日間乗馬した。彼は、ひらりと馬に跨る。平次郎には梯子を持って来てくれた。南米はリージョナル・ジェット中型機の飛行機旅行が普通である。自動車も、バスも、トラックも、航空機もヨーロッパ製がほとんどだった。南米は、女性の服装ひとつとっても、アメリカ文化ではない、ヨーロッパ文化圏という感じなのだ。

アルゼンチン(銀という意味)から農産物・牛肉を太平洋岸のチリのサンチャゴへ運ぶ運送業が活発だ。峻険アンデスを越えるだけが職業のトラック野郎が国境の検問所にたむろしていた。アジアと向き合った地勢のチリの経済はたいへん良い。アルゼンチンの国境警備兵がうらやむ口調で言ってた。トラックはボルボ製かメルセデス製。雪中のいろは坂を、24輪もある列車のようなトラックでサーカスの曲芸のように飛ばして行くのだ。エアブレーキの空気を吐き出す圧搾音がもの凄い。テキサス野郎の18輪トラックなんぞは南米では玩具なのだ。

ところで、ブラジルの混血女性はびっくり美人である。まず、肌の色だ。ついでその手足腰の美しさ。意外なことには、彼女らは恥しがり屋さんだった。あのリオのサンバからはほど遠い印象なのだ。これ「ほらふき」と言われそうだなあ。わし、春を追われた花である。ただのセニアなんだが、、

南米の社会主義への傾斜も過渡期のものと思う。「資源食い社会主義」だから。食い尽くすまで時間があるってわけだ。100年間ぐらい食い尽くしてから学校でも建てる気なのだ。最近騒がしいヒューゴ・チャベスのベネズエラ・ボリバル共和国は西半球で最大の石油と天然ガス、オリノコオイル(タール)、ボーキサイトの巨大エネルギー資源国だ。国土は日本の2、6倍以上、そこへ、人口がたったの2600万人に過ぎない。アルゼンチンはそれをさらに人口あたりの資源比(国土日本の7倍、人口は4000万人)と高い。

私のアルゼンチン観察では「政治家・官僚の腐敗」が原因の貧富差が激しいと見たし聞いた。社会の底部では欲求不満と、なまけ病貧困という社会病が根ついている。しかし、アルゼンチンはアメリカについで古い民主主義国家なのである。この国では選挙に行かないと罰金を科されるのだ。中央政権は、都市部の治安を、軍・警察の強権で押さえている。ブエノス・アイレスの貧困層はジプシーを含み巨大な部落(シャンテイタウン、東京都サイズ)になっている。一方、金持ちは鉄条網がえんえんと続く、高い塀の中の「ゲートコミュニテイ」の豪邸に小型機など持って住んでいる。そこではライフルを持った警備員がジープでパトロールしている。だが、広い並木路、地下鉄、建国者の銅像の立っているや市街はたいへん平穏だった。大衆はニューヨーク人種のようなリベラルであり、南イタリアのナポリのような「生活を楽しむ」ボヘミアン。珈琲はスターバックスなど及ばない高品質である。たいへん旨いし安い。妻と二人でオムレツ朝食・クロワッサン・水2本・エスプレッソダブルで、合計たったの8米ドル。10ドル置いて、「つりは要らない」と言い放った。2週間の小費500ドルをペソに換金した。帰途、ヒューストンに着いたら余っていたのだ。チップ(習慣はない)も相当ばら撒いたのだが、、

こういった南米のスペイン・カトリック・インディオ文化はメキシコからマゼラン海峡のテイエラ・フエボまで同じと考えて良い。今、社会主義ではないブラジルの生産が高く経済が良い。資本主義・市場経済が機能し始めたのかな? 南米が、中国やインドと違うところは、国土に対する人口の希薄さと、気の遠くなるような資源の豊富(国土・水源・原油・森林・肉穀物の食料)さである。つまり、南米の社会主義は危険ではないと感じる。

イラン、中国、ロシア、キューバへ接近したとするベネズエラ・ボリバル共和国は、どう見ても、アメリカの敵国ではない。だって、全くの小国(人口・軍・経済)であり、輸出入の60%がアメリカとだから。国の成り立ちからして精神文化(スペイン文化・混血66%・勤勉である必用がない)が違う。ただ、チャベスらは、国内が貧富格差(混血のメステイーソが大多数、貧しいインディオ、少数派だが富裕白人)で分裂しやすいために、アメリカに内政干渉や、やりかたを押付けられたくない。「押付けられたくない」という日本人の反米感情も、そこは同じです。ただし、資源のない日本人には南米のような時間的な余裕はない。だから、日本人はカネを貯めなければならないのだ。それを米国務省南米局はよく理解している。

面白いことには、南米諸国は国防予算が低いことだ。隣国と仲が良く、農と工の貿易を楽しんでいるので国境紛争はないに等しい。もうひとつ面白いと思ったのが、第一次世界大戦でも、第二次世界大戦でも、無傷の傍観者だったことだ。観光バスの運ちゃん、「その頃、タンゴが流行ってね、凄く平和だったよ」。この期間、日本は何をしていたのだろうね。

ここで、平次郎は質問がある。「守る資源のない中国が、なぜ、国防を急ぐのかねえ? 胡錦濤さん、目を覚ませ!」 以上、荒っぽいが、ご勘弁くだされ。 伊勢平次郎 ルイジアナ
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「米海兵隊員、ケント君」

6・5・07

昨夜、サンフランシスコの知人からメールがあった。福岡県が故郷の日本人女性である。彼女と旦那さんと私は一緒に仕事をしたことのある関係である。

このご夫婦には二人の息子さんがいた。長男はバークレイを出て、ファンドの会社に勤めた。次男のケント君は、去年の春、18歳で海兵隊に応募した。なかなか泣くような子供ではないが、お母さんに、訓練の辛さをメールしてきた。「あのケントが、こんな手紙を書いてくるんです。伊勢さん、メールを書いてあげて」とあった。訓練はサンデイエゴの、キャンプ・ペンドルトン。体力の特訓と重火器、爆発物の扱い、戦車操作、通信などが主な日課。脱落する者、諦める者が続出した。私はお母さんに依頼されたメールを出した。獣医になりたかったケント君が可愛がっていた、私たちの飼い犬、白柴雌「チクデン」と黒ラブ雌の「シッポ」の写真をメールした。多分、兵舎のバンク・ベッドの枠にでも貼り付けて眺めていたと思う。

ブートキャンプといわれる訓練は3ヶ月である。海兵隊に合格した。卒業してから4年が任務である。この平次郎にも征服姿の写真が送られてきた。立派な、USマリーンの勇士の姿だ。国に命を捧げる覚悟が顔に出ていた。この児は、ものごとを恐れない性格である。お父さんが少林寺拳法の師範という環境もある。ケント君が13歳のときに、サンフランシスコ~ラスベガス~ユタ~コロラド(妻の生まれ故郷)へ車で連れて行った。途中、ユタでは乗馬で高原を走った。ケント君は始めてだのに、生き生きとしていた。コロラドの山中では林の中で野糞も一緒にたれた。私とケント君はいわば、戦友なのだ。

両親が日本人だから、ケント君は二世です。日系二世は家庭では日本人。一歩外へ出るとアメリカ人です。成長するにつれて、当然、日本語が怪しくなってくる。彼のお父さんが、この二人の息子を当時始まったばかりの「日本語学校」に連れて行った。ところが、そこで入学を断られたのである。「この日本語学校はいずれ帰国することになる帰国子女のためのものです」というのが理由だった。「これが同じ日本人なんだ」と、お二人は激怒した。そこで、私が助言をしたのである。「この子たちは、アメリカ国民なんだから、英語をしっかり学習しなければいかん」と。つまり、ケント君は、自分の ID に悩んでいたのです。「ボクは日本人なのか、アメリカ人なのか」と。コロラドへ行ったとき、「ボクね、田舎が好き」と言ったので、「ケントはね、アメリカ人なんだよ。それを名誉に思いなさい」と言ってあげた。憶えていたかどうかは分からない。ルイジアナへ来たいと言っていた。来たら、職業学校へ入れてあげるつもりだった。

ケントは、グァム~シンガポール~クエート~そして今、イラクです。砂漠で頑張っているようです”と、彼のお母さんのメールにあった。ケント君の1行メールが添付してあった。i am going to iraq today so i will not be able to keep in touch. kento 

私ら年寄は、国に命を捧げる青年の「帰国」を祈ることしかできない。無性に腹が立ってきた。「何を怒ってんの?」とわが妻クリステイン大尉どの。平次郎は「ブッシュの野郎、とんでもない馬鹿野郎だ」と、窓を開けて怒鳴った。すると、庭の樫の木の住人、縞フクロウが「ホコッコ、コウ」と鳴いていたが、黙ってしまった。

伊勢平次郎



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「硫黄島からの手紙」で想いだす

6・3・07

「硫黄島からの手紙」とそのプロダクション・プロセスを観た。クリント・イーストウッド監督と、スピールバーグのドリーム・ワークスの製作である。伊勢がここに書くのは、ハリウッドの想い出に過ぎない。

1977年の夏、ニューヨークで市川猿之助一座のグランド歌舞伎が、和子ヒリア(興行師・西陣織京都立村平蔵氏の娘・ジュリアード卒業のピアニスト)の所有のビーコン劇場で1週間公演された。36歳の平次郎は女興行師の右腕だった。ワシントンのケネデイ劇場公演も終わった頃である。ニューヨークに戻ると、ニューヨーク市長の宴会によばれた。そこには、マイケル・バトラー(“HAIR” ブロードウェー・プロデューサー)とボデイガードの河島輝(米陸軍武道指導官空手5段)さんがきていた。てる(輝)さんと私は旧知だった。宴会に立ち寄ったステイーブン・スピールバーグを紹介してくれた。スピールバーグは31歳、「未知との遭遇」をニューヨークで公開するために来ていた。“ARE YOU JAPANESE?" といきなり訊かれた。てるさんが、伊勢は歌舞伎のマネージャーだというと、ステイーブンは“I NEED YOU"といい、紙ナプキンに、電話番号とSANDYという女性の名前を書いてくれたのだ。

11月に入ってから、ロスアンゼルスへ飛んだ。サンセット・ストリートのホテルから、SANDY に電話を入れたが留守電だった。夜になると、秘書から電話があり、明日、サンデイは東京から帰るというのだ。あくる日、一日待ったが、サンデイから電話はなかった。昼、ニューヨークへ飛ぶため、部屋を出ようとすると、フロントが電話だという。サンデイからだった。「コロンビア・ランチへ来て頂戴」と一言。タクシーで、サンセットからハリウッドの山を越えると、バーバンクの撮影所の町だ。その一角にコロンビア・ランチがあった。広い敷地に工場風の灰色の建物が並んでいる。

「サンデイに呼ばれた」と門衛にいうと、どこかへ電話していたが、“OK"といった。暗いビルに入った。金槌や電機鋸の音がうるさかった。中央にプールがあり、そこに潜水艦を作っていたのだ。潜水艦には、伊ー51と書いてあった。横の黒板には、「1941・オーデイション」と書いてある。その黒板の前に100人以上のアジア人の若者が集合していた。

通りかかった日本人のアンちゃんに「この人たちはなに?」と訊くと、「エクストラです」といった。片隅にやはり100人ぐらいの集まりが見えた。「この人たちは?」「助監督の候補です」とひとりが言った。平次郎は、「はは~ん、おれもそのひとりか、バカにするない」と帰ろうとした。そこへ、若い女性を連れた初老の日本紳士が入ってきた。映画で観たことのある、三船敏郎さんであった。

どうせ、ニューヨークへ帰るんだ、三船さんと挨拶でもしておこうと思った。さっと、歩み寄って、「三船さんですね、伊勢です」というと、人懐っこい笑顔で旧知のように「スピールバーグはどこにいるの?」と例の野太い声で聞く。返事をするまでもなく、プロデューサーと、スピールバーグ監督が入ってきた。若いステイーブンは、めがねをかけ、デニムにハンターのジャケットを着ていた。そして、“I NEED A TRANSLATOR、DO YOU SPEAK ENGLISH?" ”YES, I DO" と平次郎。すると、“DO I KNOW YOU?" ときた。紙ナプキンを見せると。大笑いになった。そして、助監督候補になにやら説明をしかけていた金髪の女性に「HEY、 SANDY、I GOT MY ASSISTANT"と怒鳴ったのだった。待たされていた候補者たちは、びっくり。各位、$60ドルを貰って帰って行った。こうして、偶然に、平次郎はステイーブン・スピールバーグの助監督となったのである。(続く)
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プロフィール

伊勢平次郎

Author:伊勢平次郎
Author: Nobuyoshi Ozaki

A long forty six years have passed since I stepped on to American soil. I have had various odd jobs in the past until I recently retired. Examples include working with Steven Spielberg as assistant director in a film called "1941." I was supervisor and later became Public Relation representative for Toyota Group - USA. My last occupation was a Senior Research analyst working in Silicone Valley for a major news paper from Tokyo, Japan. My spouse, Christine is a flight attendant, traveling often to the Middle East and Africa. We have spent three quarters of our life together as world adventurers. This photo was taken in Argentina. We now live in swampy Louisiana.

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